驚異的な発想力を生む「天才教育」のすすめ


 政木先生は小さい頃から何事に対しても“疑
問”を持って、その原理や理論を徹底的に解明
するという生き方を実践されました。知識を身に
つけるのではなく、実地に重きをおいて工業高
校への進学を最初から決めておられ、そして、
目に見えない導きにより阪大へと進まれたわけ
ですが、終始一貫“なんでやろ? 不思議だ
な?”の精神で後世の人々に数多くの発明品を
残されました。著書では「先に“疑問”を自分の中につくっておく
と、砂が水を吸い込むようにどんどん吸収していく。それがす
ぐに実用できる知識、学問となって身についていくのであ
る・・・・」と書かれています。ご自身の体験に基づく言葉で、当
時の知識偏重の教育に“警告”を発せられたものと思います。

 人間は生まれながらにして得手、不得手があるようで、得意
な分野、興味の持てることに対しては素晴らしいアイデアが浮
かんでも、苦手なことに対してはやる気もアイデアも湧いてこ
ないようです。政木先生が意図された「天才教育」とは、その人
が持っている能力を徹底的に伸ばして、苦手なことに対しては
他の得意な人に任せる、そして、それぞれが得意な分野を伸
ばして社会の進歩発展に寄与しよう! ということであったもの
と思われます。

 三人の娘の父親として、この政木先生の教えを当てはめて
みると、恥ずかしながらほど遠いようです。子供の得意分野を
見いだすことができず、その結果、“枠にはめず、レールを敷
かず、自由に”という放任主義を決め込みました。それでも、そ
れぞれが自分の選んだ道で幸せな生活を送っているよう(長
女は昨年5月、次女は今年2月に結婚、三女は来春OL)で、こ
れで良かったのかな、などと自己満足しています。「人それぞ
れに何か一つは特技があるはず」との信念で、その人の良さ
を引き出すように心掛けてきたのですが、能力開発という仕事
を通じて、その難しさを痛感しながら、政木先生の偉大さを思
い起こしております。


<著書より部分的抜粋>

 私の生まれは大正5年であるが、明治の時代に西洋文明が
訪れ、その当時はようやく実用期に入りかけた頃でもあった。
その西洋文明を取り入れて、私は小学校3年の頃に、ブリキ板
を切り抜いてトランスを作り小さなモーターを完成させ、教室の
黒板に「モーターはどうして回るか知っていますか?」と書いた
のを覚えている。そのような子供だったので、算数と理科は大
好きで成績も良かったが、国語や地理などは全く覚えようとせ
ず成績は最下位であった。私は最初から工業学校を志望して
いた。それで、神戸の親戚を頼っていき、近くのOKラジオ研究
所に入所して約2年間、電気について実地の勉強をした。

 実地を中心に学ぶと、どうしてもその原理や理論をもっと知り
たくなった。工業学校に入ると、私にとってのどから手が出るほ
ど知りたかった原理、理論の授業をしてくれる。実地で「どうし
てだろう?」という疑問を持っていたので、「そうだったのか」と
先生の講義が2倍にも3倍にも自分の頭の中に入っていき、忘
れようとしても忘れることができない程の深い記憶となっていっ
た。

 何事も覚えようと身構えると大きな努力が必要となってくる
が、先に「疑問」を自分の中につくっておくと、砂が水を吸い込
むようにどんどん吸収していく。それがすぐに実用できる知
識、学問となって身についていくのである。この世の中にはた
くさんの人間がいる。その中で何か飛び抜けてできる人は、そ
のできることだけをやって、できないことは他の人がやればい
いのではないか。何事も全部やろうと思えば、その人は思う大
学へも行けなくなる。自分の才能を伸ばすためにも、自分の得
意な学科だけで入学できる大学があってもいいのではない
か、と私は思っている・・・。


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