すでに願いは叶ったと思え


 この教えは生きていく上での“心のあり方”として、とても深い
意味が込められているものと思われます。よく似たような言葉
に『願い事あらば 過去完了形で思えよ』というのがあります
が、この場合は、目先の欲望(願い事)があって、欲望を持った
ままでは願い事は叶わないから、欲望を捨てて“すでにそうな
った”と思えば、その通りになりますよ、という意味合いになり
ます。

 冒頭の『すでに願いは叶ったと思え』は、もう少し意識を拡げ
て、いま“生かされている”ことで、すでにあなたの願い(本心
の心の願い)はすべて叶っていますよ、と解釈すると、不平や
不満も吹き飛んで、“ありがたい”という気持ちが沸き上がって
きます。さらに、“目先の欲望(思いの心)は捨てましょう、私ほ
ど倖な者はいないと思いましょう、すべて必要なものは与えら
れていて、すでにあなたの本心の願いはすべて叶っているの
ですから・・・・・”と受け止めれば、本心開発の心構えにピッタリ
となります。

 「願いは叶った」と思うか否かによって、人の生き方は二つの
道に分かれます。「願いは叶った」と思うことができれば、感謝
に満ちた日々を送ることができ、「願いは叶っていない」と思う
と、願いを叶えるために一生懸命努力し、がんばる(我を張る)
生き方になります。今まではがんばる生き方に“○”がついた
のですが、これからは“△”になりそうです。

 では、“○”がつく生き方とは、どんな生き方なの
でしょうか? 政木先生の生き方を参考にさせて
いただくと、「無神論者から有神論者(神を感じる
人)になり、神に頼ることなく、目先の欲望を捨て
て、自分でよいと思ったことをやって(個性を発揮
して)、結果として周りに幸せを与える生き方」とな
ります。この生き方を実践するには、「すでに願い
は叶った、ありがたい」と思いつつ、楽しみながら
継続することが大切かと思われます。


<著書より部分的抜粋>

 神様、私を幸福にして下さい。私の病気を治して下さいとお
願いしている人がある。こんな願いを叶える神はあるだろう
か? 自分の欲望を求めてそれが思うようになるだろうか?
私は不幸だと思うから、幸福にして下さいと願っているのだろう
が、自分が不幸だと思う想念によって、自分の周囲に不幸の
シールドを作ってしまうことになる。自分は不幸だと思えば思う
程シールドの壁は厚くなり、幸福の光を完全に遮断してしま
い、永久に幸福が訪れなくなってしまう。病気も同じである。神
に願う前に、そのシールドを取り払わなければならない。それ
を取り払うには、不平不満を捨て去ることである。

 私を幸福にして下さいと願う心は、私は不幸だと思う不平で
あり、病気を治して下さいと願う心は、他の人よりも身体が悪
いという不満である。その不平、不満の気持ちを捨て、私は幸
福になった、身体が良くなったと思うことにすればよい。その場
で私は幸福だと思うだけならできるはずである。

 思うだけのことは、誰にでもできる。ただ、私は幸福になった
と思えばよいのである。ああ、私は幸福になった、有り難うござ
いましたと、心の中から感謝の言葉を発すれば、気持ちは軽く
なり、晴れ晴れとしてくる。ああ、私の身体は良くなったのだ。
病気は治ってゆくのだと心から思い、本当に健康になって嬉し
い、『神様有り難うございました』と、心から歌ってみてごらんな
さい。身体全体が浮くように、ふわふわと飛んでゆく気持ちとな
るでしょう。この有り難うの感謝の気持ちが、あなたの心の窓
を全開し、幸福の光と健康の波が、存分に身の中に入ってく
る。一度開かれた心の扉からは、次々と求めるものが自由自
在に入ってくる。感謝の気持ちによって、その光がすべて自分
のものとなるのである。


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