ひらめきは神から与えられたもの


 先生はある人との会話の中で、「あなたのアイデアは素晴ら
しいけれど、その次が思いつかないようだから商品開発ができ
ない。本当にもったいないですね。私の場合は、少し聞いただ
けで次から次へとつながるから、すぐに商品開発ができます。
これも阪大時代に全学科をやったお陰ですかね〜」と。この会
話を聞きながら、先生の場合は小さい頃から“何でやろ?”“不
思議だな”と、何にでも疑問を持ち、それらを徹底的に解明さ
れたからこそ、基礎がしっかりしていて応用が利く、と感心した
ことがあります。

 勝手なストーリーを描けば、神様は誰にでもそれなりのひら
めきを平等に与えておられる。しかし、受け手側にそれを活用
するだけの器がなければ、“猫に小判”で役に立たない。また、
神様は、この人ならば・・・・とOKを出した人には次から次へと
素晴らしいひらめきを与えておられる。ただし、相対の世界に
おける神様にはピンからキリまであって、低い番組では“予知
能力”や“霊力”を人間に与えて、世間を騒がせているケース
が多いようです。

 神様から与えられる特殊な能力を、お金儲けや、社会的な地
位や名誉を得るために使うのはあまり好ましいことではありま
せん。その点、政木先生の場合は徹底して目先の欲望を捨て
て、世の中の進歩発展に尽くされました。だからこそ、高次元
の神様から、“インスピレーション”があったものと思われます。
絶対の世界では、我が身は絶対神の分身であり、神そのもの
となります。一般的に、人間は人間、神は神として、人間の外
側に神をおいているようですが、
“神は我が身にあり”で、目先の欲
望がとれて、脳波がシーター波にな
ると、我が身と神がつながる(一体
になる)ようです。我欲を捨てて、静
かに“内なる神の叫び声”に耳を傾
ければ素晴らしい“ひらめき”をキャ
ッチできるものと思われます。



<追記>

 能力開発の世界では、固定観念を取り去って発想を広げ、
ぼんやりしている時にひらめきがあるといわれておりますが、
政木先生の場合は、瞬間的に神様から“発明品の設計図”が
頭の中に送られてきたようです。なぜそれが可能だったのかを
一言で表現すれば、先生は“神様から選ばれた人”だったから
だと思われます。そこで、“神様から選ばれた要因”について探
求してみると・・・・、

その1「人間性」・・・個人的な目先の欲望に囚われることなく、
 自分のことよりも常に周りのことを考えていた。
その2「幅広い知識と体験」・・・専門的な知識はもちろんのこ 
 と、それらに関連した幅広い知識と体験(実践)があった。
その3「環境」・・・一つのことに専念できる時間と空間があっ  
 た、個人の資質として、脳波が自在にコントロールできた、等

 世間ではさまざまな発明や発見があり、それらのすべては神
から与えられたものですが、神の世界にも次元があって、高い
次元から与えられるものと、低い次元からのものとがあるよう
です。例えば、お金儲けや個人的な欲望を満たすためのもの
であれば低次元のものであると言わざるを得ません。政木先
生の場合は、お金儲けや個人的な欲望は一切なく、研究室で
は他人の5倍も働いて、周りに幸せを与えることを考えておら
れたからこそ、高い次元の神様からのひらめきが与えられた
のではないでしょうか。

 ひらめきを得るために、「人間性」は幾多の
輪廻転生を繰り返して修業する。「知識と体験」
は何事に対しても当たり前と思わずに“何でや
ろ、不思議だな”からスタートして徹底的に疑問
を解消する。「環境」は自分の時間を増やして
静かに瞑想する(脳波を下げる)。これらをコツ
コツと積み重ねると高い次元の神様から、必要
な時に、必要に応じて、必要な“ひらめき”が与
えられるのではないかと思われます。
(2006年3月号)



<著書より部分的抜粋>

 私の発明は10秒以内でできてしまう。インスピレーションに
よって、設計図まで瞬間的に、さっとひらめくからである。これ
を私は“神から与えられたもの”と呼んでいる。この“神”とは自
分の精神の中に存在しているものである。

 私は子供の頃から、自然現象の当たり前と考えられているこ
とにも常に疑問をもって考えてみた。また、阪大であらゆる分
野の基礎の学習と実験をやってきたことに裏付けられている
からであり、あくまでも努力の下地があったからである。私の4
0歳までの発明品は80種ぐらいであったが、今までに他教室
の研究に協力したお陰で、機械、造船、航空、土木、建築、化
学、医学などあらゆる分野の知識を修得できたため、それらを
総合した発明が可能になり、その後の20年間に500種以上
の考案ができた。

 これは若い時に、人を助けるため人の5倍以上働いたこと
が、今になって自分に返ってきたものだと感謝している。これ
が本当の意味の“情けは人のためならず”ではないだろうか。
若い時の苦労は、必ずや晩年になって実を結ぶことになる。た
いして苦労もせず、平々凡々と生きていれば、その生涯は平
凡のままに終わるだろう。「自分のなすべきことに全力をそそ
ぎ、この世はなるようにしかならぬ、と思うこと」。目先の欲望を
捨てた果てには、限りない喜びが待っているのである。・・・・
「奇跡の実現」より


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