宗教の根本はみなひとつ


 政木先生は講演の中で「宗教を信じる者は、信念を持つこと
のできない最低の人間である・・・」とたびたび述べておられま
すので、あたかも宗教を否定しているかのように感じている方
もみえると思われますが、一方で「真理を学ぶための宗教は
大いに結構だが依存心を持って願い事をする宗教はだめ」と
いっておられます。

 科学一辺倒で、“神も仏もいない”と頑なに信じておられた政
木先生でしたが、口から真珠が発生したり、空中から仏像が発
生し、もうこれ以上神の存在を疑うことができない精神状態に
なられた時、「神仏の存在を信じることが出来得れば、神仏を
忘れて自分の力でやってゆけよ」とのメッセージを受けられま
した。無神論者から有神論者になられたわけですが、現在の
宗教家に対しては否定的だったようです。なぜかといえば、宗
教による争いが各地で発生し、大衆を不幸のどん底に陥れて
いる原因は、宗教家の自己の利益、自己の権益、欲望にある
と考えておられたからです。

 冒頭の「宗教の根本はみなひとつ」とは、絶対の神のもとに
ある天使が、人の世を救う姿として現れたのが釈迦でありイエ
スである。仏教もキリスト教も神道も、すべて同じ神の意志に
よって興されたものであり、その精神の基本は同一のもの。ど
の宗教においても、根本は人間の幸福と平和である。と述べ
ておられます。それぞれの宗教が、自分たちが最高最善であ
り他のすべてはニセ物、と排除していては地球の平和は実現
しそうにありません。

 絶対神がすべての始まりであり、人間も
含めた宇宙のすべてが絶対神の分身で
す。政木先生の表現によれば“神は我が
身にあり”となります。脳波がシータ波にな
って、目先の欲望がなくなれば、宇宙の真
理が見えてきて、何もしなければ我欲が先
に立ち、自分にとって都合の良い解釈が生
まれるようです。我欲を捨て去ることが世界
の平和実現の第一歩なのかも知れません。

<著書より部分的抜粋> 

 この世の中には、現代科学で解明できないものがあまりにも
多い。生命体のエネルギーはその典型だろう。しかし、それに
よってさまざまな現象が起こっていることは否定できない事実
である。起こっている事実は信じなければならない。まず信じ
ることが大事である。疑っている限り、生命体のエネルギーが
その人の肉体の前面に出てきて力を発揮するという現象は起
こり得ないだろう。
 
 これは宗教などにも共通していえることである。神仏を心か
ら信じ、合掌しながら 「ありがとうございます」 と感謝する。そう
することで心が鎮まり、脳波が下がって生命体のエネルギーが
高まっていく。神仏を信じ、感謝するというのは、神仏に救いを
求めることではない。神仏は私たち自身の中にある。私たちは
神仏が与えてくれた現在の自分に心から感謝し、自分のあら
ん限りの力をフルに発揮して、人々の幸福と平和のために最
大限の努力を払わなければならない。神はそういう人間にこそ
救いをもたらす。

 本当の宗教は、根本においてみなそういうことを教えている
のだ、と私は思う。宗教というものは、仏教でもキリスト教でも
イスラム教でも、必要な時代の必要な場所に、同じ生命体でも
たらされたものであり、根本の教えはみんな同じものであるは
ずだ。どの宗教においても、根本は人間の幸福と平和である。
従って、宗教や宗旨の違いによる争いなどはもっての他であ
る。・・・『奇跡の実現』


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