願い事あらば 過去完了形で思えよ


 政木先生はいつも、「人間は生まれたときから必要なものは
すべて与えられている。ああしたい、こうしたい、というのは人
間の欲望であって、望んでも自分のものにできないものは、自
分には不必要なもの、無関係なものと思えば欲望も自然に消
えていく」といっておられました。だから、本来願い事はないは
ずなのですが、でも、どうしても願い事がある時は“既に願い
事が叶った、ありがとうございます”という精神状態で、過去完
了形で思うようにとの意味が込められていると思われます。

 例えば、病気になって苦しいときは、「病気が治りますように」
と願うのではなく、「すっかり元気になりました。ありがとうござ
います」と思うことです。この違いは、前者は“病気を治して欲
しい!”という大きな欲望があるのに対して、後者は“感謝の気
持ち”だけで、治して欲しい!という欲望がないことです。

 また、見方を変えれば、前者は“病気になっている”という現
実を掴んでいますが、後者は病気ではなく“健康”になってい
ます。病気を掴み続けていてはいつまでたっても病気のまま
で、健康になりたいのであれば、まず病気を手放すことが先決
のようです。従って、願い事(健康になりたい)あらば過去完了
形(既に健康になった! ありがとうございます)で思えよ、とな
ります。

 少しでも欲望があると脳波は下がらず、欲
望がなくなると脳波が下がって、生命体エネ
ルギーが働き出す。自分にとって望ましい状
態を願う時は欲望を伴うので、願いは叶わ
ない。心配事は欲望を伴っていないので、
現実化する。原理はとてもシンプルのようで
す。まずは、既にすべて与えられていることに感謝する、どうし
ても願い事がある時は、感謝の気持ちを込めて過去完了形で
思うことが肝心のようですね。


<追記>

 政木先生は講演会の最中に知恵の輪のようなものを取り出
されて、「欲望がなければ簡単に取れますよ」と言いながら実
演されたことがあります。先生の研究室で実際に体験した時
は、10分くらいやっていて1回だけ“ポロッ”と取れたことがあり
ます。先生の解説は、「やっと欲望がとれましたね。過去完了
形で“取れた!”と思ってやればもっと簡単に取れますよ」との
ことでしたが、その時は“なぜ取れたのかな?”という疑問は残
ったままでした。

 政木先生は、「発明品はインスピレーションで、1秒か、2秒
で頭の中で出来上がるから、後はそれを図面にするだけです
よ」というお話をされましたが、一説によれば、モーツアルトの
直筆の楽譜には書き直した形跡がまったくなく、他の音楽家の
楽譜はみな書き直した後があったとか。このことから、モーツア
ルトは考えながら楽譜を書いたのではなく、既に頭の中で楽譜
が出来上がっていて、それを紙に書き写したから書き直しがな
かったものと思われます。政木先生もモーツアルトも“既に出
来上がったもの(過去完了形)を神からの啓示として受け取ら
れていたようです。

 誰でもこのような啓示が受けられるわけではありませんが、
この教えを実践するにあたっては、例えば、ゴルフのパターを
打つ前に穴に入った音を聞いてから打つとか、名刺で割り箸
を切る時に“切れた!”と思いながら名刺を振り下ろすとか、身
近なところで疑似体験はできそうです。これらの体験を繰り返
して、最終的に行き着く先は“欲望を捨てればうまくいく”という
ことになりそうです。そして、目先の欲望
を捨てるためのひとつの方法が“過去完
了形で思うこと”なのかもしれません。望
ましいパターンは、今自分がコツコツと
やっていることが、未来へ繋がって、人
類の幸福と進歩発展に寄与しているイ
メージを描きながら、毎日楽しく仕事に
取り組むことではないかと思われます。
(2006年5月記)


<講演より抜粋>

◇空中から観音様が発生して、神仏の存在を疑いきれなくなっ
た時、、「汝、神仏の存在を信ずることでき得れば、本日を限り
として神仏に対する依存心をすべて捨てよ。」そして、「自分の
力のみでやってゆけよ。神仏は人間の願いは一切受け付けな
い。神仏に対してどうしても願いたいことがあるならば、願いを
忘れて完了形で思えよ。」という言葉があった。

◇その言葉があった明くる日に、ある夫婦が来て、生後一年
三ヶ月の赤ちゃんが、三階から真っ逆さまに落ちて、頭がつぶ
れて、病院ではどうすることもできないという。人間性測定で調
べたら、「夫婦が諦めきることができれば意識が戻る。」と言
う。そして、三日目の朝、赤ちゃんの意識が戻った。これは、夫
婦が欲望を全部捨てたために、夫婦のエネルギーが赤ちゃん
に移って、頭が元に戻った。

◇日本で初めてスプーン曲げの放送があった時、そんなバカ
なことはないと思って、自分で発明したストレンメーターを持っ
て放送局へ行った。放送の前に自分で実験して、「曲がったん
じゃないかな」と思ったら、メーターが千分の三振れた。その時
に、あれっと思って、文句を言うこともなくなってしまった。

◇阪大で物体移動の実験をした。学生の見ている前で、ふた
がしてあるガラスビンの中に物が入ったと思うと入ってしまう。
オシログラフで測ってみると、人間がすると五秒から十秒かか
ることを、脳波がシーターに下がると、五十万分の一から百万
分の一秒で、ふたを開けて、物を入れて、またふたをしている
ことがわかる。脳波がシーター波の状態では、一秒が二百年
に相当することが判った。

◇お寺やお宮さんで願う願い事は欲望があって絶対に不可能
です。ところが、自分自身に願うことは、少しだけ欲望があるけ
ど、他に願うことに比べれば欲望はない。さらに、もう一段上が
って、「こうなったんだ」と思うと、欲望は全部消えます。女らし
い女になりたい時は、「私は女らしくなった」と思う。その瞬間に
女らしくなってしまいます。

◇病気でも、脳波を低くして「治った!」と思う。病気はその瞬
間に治ります。阪大の医学部の時、四十歳前後の神経質そう
な人が来た。レントゲンで見ると完全に胃潰瘍だった。でも、本
人には、「何ともないですよ」と言って、病名も告げず、薬も渡さ
なかった。一週間後に来た時はきれいに治っていた。病気とは
気を病んでいるだけです。

◇岡大の実験では、神経波磁力線をあてて子宮筋腫が十分
の一になった患者さんに、「あれは間違っていました。十分の
一ではなくて二分の一でした」と告げた。すると、一週間後には
患者全員が二分の一に戻ってしまった。岡大の医師は、「病気
の意味がよく分かりました。」と言っていた。

◇ゴルフのパターを打つ時は、カップインの音を聞いてから打
つ。射撃は、的の真ん中を銃丸が通り抜けたことを意識してか
ら引き金を引く。ゴルフのパターも射撃の極意も同じなんです。
願いを忘れて、そうなったと思うこと。完了形で思うこと。根本
はみな同じなんです。



<著書より部分的抜粋>

 脳波がシータ波の状態というのは、まったく欲望のない状態
のことである。まったく欲望のない状態になると、人間には何
事に対しても感謝の気持ちが自然に湧いてきて、誰でも「私ほ
ど幸せな人間はいない」という思いをいだくようになってくる。
そのときこそ、人間は本当に幸せになれるのである。人は心配
するとそのエネルギーでどんどん心配する方向に自分の運命
を引きずりこんでいくことになる。人間の想念には、プラスのエ
ネルギーにせよマイナスのエネルギーにせよ、無限の力が潜
んでいるからだ。心配というのはマイナスのエネルギーであ
る。従って、心配しても何の役にも立たないばかりか、ますます
悪い方向へ行ってしまうことになるだろう。それは、まるで自分
で自分の不幸を求めているようなものだ。

 すべて事が成就したことを常に頭に描き、その描いたとおり
のことを実行していけば、すべての人々は最高の幸せの道を
歩むことができるようになる。要するに、過去完了形で思った
ことを確実に着々と一所懸命にやっていくことが大事なのであ
る。過去完了形で思うことには自分の願望がこめられており、
それをコツコツし遂げることは一向に苦にならない。その意味
では、やればやる程楽しくなるのが本当の仕事なのである。何
事も楽しみながら一所懸命にやっていく。そうすることで、確実
に事は達成されていくのである。・・・・「この世に不可能はな
い」より抜粋


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