この世で起こることはすべて必然であり、偶然はひとつもない


 8年ほど前に、他社の主催で政木先生の講演会があった時
のことです。先生のお話をゆっくりとお聴きしようと思って、どこ
にも連絡せずに、開催時刻の1時間前に講演会場に着いた
ら、なんと会場の入口には先生が立っておられ、「あなたでし
たか」とおっしゃいました。突然のことで私には何のことか分か
らず、先生にお訊ねしたら、「誰かが来るという信号があったか
ら、ここでこうして待っていたのですよ」と説明して下さいまし
た。

 その時に、「私はたまたまこの時間に着いたのですが、偶然
ではなかったのですか?」とお聞きしたら、先生は、「偶然じゃ
ないですよ、この世で起こることはみんな必然ですよ。今日は
誰が来るのかは分からなかったけど、来た人と食事をすること
になっているみたいですよ」と笑いながらおっしゃいました。

 その頃は“すべて必然である”ということに対して未だ半信半
疑でしたが、いま振り返ってみるとその時の出来事が記憶に
残っていて、大きな影響を与えてくれたようです。特に、「誰が
来るのかは分からなかった・・・・」という部分が気になってい
て、現時点で自分なりに勝手に解釈すれば、先生と一緒に食
事をするという役割を私が担った、そして、それはすべて“神の
計らい”であって、決して偶然に起こったことではない、さらに、
先生はそのことをすべて分かっておられた、ということになりま
す。

 この世で起きていることはすべて
“神の計らい”であるならば、どんな
些細なことにも何らかの意味(それぞ
れが役割を担う)があり、起こったこ
とに対して自分の思い通りにならな
かったといって、腹を立てたり、
人のせいにしていては、また同じことの繰り返しになります。起
きたことを素直に受け容れて、起きた意味に気づいたら、次の
ステップに進めるようです。


<追記>

 政木先生は講演の中で、「この世で起こることはすべて必然
的に起きるのであって、偶然に起きることはひとつもありませ
んよ」と言っておられます。これは、はじめから起きることがす
べて決められているのではなく、その瞬間に無限の番組(選
択)が用意されていて、Aという番組を選べばAという結果が現
れ、決してBの結果は現れない、そして、偶然にAの結果が現
れたのではなく、Aを選べば必然的にAになる、ということだと
思われます。

 この世に生まれてくる前に、おおよその人生のスケジュール
を決めて、それに見合った環境(両親・兄弟・他)を選んで、死
ぬ日も決めてこの世に出てくるのですが、これも不変のもので
はなく、その瞬間の選択の積み重ねによって、変化することも
あるようです。政木先生の場合は、54歳の時と79歳の時に死
ぬことになっていたのが、陰徳によって87歳まで寿命が延び
たとのこと。

 自分の場合、脱サラをせずにずっとサラリーマンを続けてい
たらどんな生活になっていたのかな、などと勝手な想像をする
こともありますが、振り返ってみると“自分の道を歩め!”という
魂の叫び声というか、心の底から突き上げてくるようなものが
あって、サラリーマンを辞めるべくして辞めたような気がしてお
ります。最近では、一つの番組を選択する時にそれほど時間
をかけずに、素早く選択できるようになりました。“なぜ?”と
問 いかけてみると、結果がおおよそ予測でき、かつ、どんな結
果 でもすべて受け容れるように心掛けているからかも知れま
せ ん。争いの心で選択すれば争いが、寛容の心で選択すれ
ば寛容が、その結果として現れてきます。政木先生の研究室
に飾ってあった、『喜べば 喜び事が 喜んで 喜び連れて 喜ん
で来る』色紙通りのことが起きています。この世
で起こることはすべて必然で、起きたことに批評
を加えず、起きたことを素直に受け容れて、謙虚
に反省し、同じ過ちを犯さないことが大切ではな
いかと思われます。(2005年10月号)


<講演より抜粋>

『 この世はすべて必然なり 』

◇自分の中にいる神仏が分かると、この世の中、偶然は何に
もない。全部必然的に起こっている。私がそれを最初に思わさ
れたのは、昭和50年元旦に幽体分離を体験した時です。肉体
は信州の山奥にあって、生命体だけが抜け出して蒲郡の竹島
に到着した。2ヶ月後に現地へ行ってみると、まったく同じ風景
だった。そこで、TS先生に出会ったが、昔から縁のあった人で
偶然ではなかった。

◇岡山の講演会で、「昭和天皇は来年の1月7日に亡くなりま
す」と言ったらしい。また、会社の新年会の責任者が困ってい
る時に「安心してやりなさい。天皇陛下が亡くなるのは1月7日
です」と言ったらしい。また、東京の講演会で、「湾岸戦争は、2
月26日の夜7時に終わります」と、口が勝手に言ってしまった。
みんな偶然じゃなくて必然的だから分かるんです。

◇人間が物事をベータ波で考えるから何かが偶然に起きると
思う。不思議だと思う。不思議という字は、昔は“不可思議”だ
った。思議いたらずで、自分で考えることができないから、それ
を不思議だ、偶然だという。物理化学の勉強が全部できて、脳
波がシータ波になれば、不可思議は何にもない。全部当たり
前なんです。

◇因果応報も偶然ではなくきちっと起きています。ある市会議
員が来た時、「前世で人殺しをしているから周辺の家へお金を
配りなさい」と言った。でも、その通りしなかったら、近所の人に
子供が誘拐されて、身代金の要求があった。自分の作った原
因によって不幸になっていく。生命体があるから全部必然的に
起こる。

◇人の上に立つ人は、次に何が起こるかが分か
る人でないといけない。今は試験でトップの人を
決めるから円満にいかない。生命体のエネルギ
ーを上手に使えば不可能はなくなって世の中は
すべて平穏にいく。

  <1996年12月15日政木先生講演会より抜粋>


<著書より部分的抜粋>

 われわれの人類社会、あるいは宇宙の構成のすべては単純
な形をとっている。質素で大きなエネルギーの調和もとれてい
る。真理は自然に存在するものであって、人間のつくれるもの
ではない。人間の生きるための真理は幼児にみることができ
る。幼児は自分に必要なもの以外を求めることはない。大人
は自分に必要なものの十倍、百倍を求めようとする。そしてそ
れが叶わぬとき、自分は不幸だ、さびしいと嘆く。では、なぜ人
間だけが不平、不満を言うのか。愛情問題、食糧問題、対人
関係と、他の動植物や自然現象にない問題を、人間だけにあ
ると自負する考え方もあるが、それも所詮、個人の必要以上
の欲望に帰するものである。人間は年をとれば必ず死んでゆ
く。その時、何を未来に持っていけるのか、持っていくものは何
一つとしてない。自分の肉体すらほったらかしにして行かねば
ならない。

 望んでも自分のものにできないものは、自分には不必要なも
のと思えば欲望も消えていく。また、いくら努力しても思いが達
せられないことは、自分には無関係のことであると思いきって
しまえばよい。そして、自分の実行できることだけに全力を注
入すればよい。この世は水の流れのように、なるようにしかな
らない。そして、自分の周辺に起こるどんな小さなことでも、す
べて必然的に起こることであって、偶然には絶対に起こらな
い。・・・・「精神エネルギー」より


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