修業とは周りに幸せを与えることなり


 政木先生の数ある教えの中で、最初に大変印象に残った言
葉です。先生にお会いする以前の当研究所は、自己の能力を
高めて相互に啓発することが主流でしたが、この教えがキッカ
ケとなって大きく方向転換したことになります。講演会で、「修
業とは、お経を読んだり、滝に打たれることではないですよ。そ
んな時間があったら、1分でも1秒でもいいから、周りの人に喜
びを与えることですよ」とおっしゃられた言葉が今でも耳の奥に
残っています。

先生はご自身の体験を、講演会という場
を通じて多くの方々に伝えられ、また、神
からのインスピレーションによる発明で、
多くの方々に幸せを与えられました。講
演会でのお話と、日常生活とのギャップ
がなく、というよりも、日常生活で実践さ
れたことを講演会でお話しされましたの
で、非常に説得力がありました。先生のお話を聴きながら、自
分にできることは何かな?、と考えた時、最初に頭に浮かんだ
のは、政木先生の生き方を多くの人に“体感”していただこう!
ということでした。

 先生が亡くなられて1年が経過し、今改めて、周りの人に幸
せを感じていただくために自分にできることは何か?、と考え
てみると、やはり“生き方の提案”ではないかと思われます。従
来の、お金やものに価値を見い出す生き方から、お金やもの
に囚われない生き方へ。誰かに依存する生き方から、自律し
た生き方へ。感覚的認識(五感)から超感覚的認識(直感)
へ・・・・などなど。たくさんのキーワードが思いつきますが、心
構えは政木先生がいつも言っておられた「自分のことよりも周
りのことを考える」こと。そして幸せを与えようと思うと目先の欲
望になるから、「自分が良かれと思ってやったことが、結果とし
て、周りの人の役に立つ」、という生き方を実践していきたいと
考えております。


<追記>

『周りに幸せを与えて生きる』 (2006年6月記)

 政木先生の講演会に参加して“人生観が変わった”という人
は多いのですが、勝手な推測をすれば、先生が何度も繰り返
しお話された、「自分のことよりも周りに幸せを与えることです
よ」という言葉が胸に響いたのではないかと思います。自分自
身を振り返ってみても、まず“自分”があって次に“他人”があ
るという優先順位を無意識のうちにつけていたのが軌道修正
され、人のために生きようという本心の心が目覚めたような気
がしています。

 しかし現実としては、“周りに幸せを与えよう”と決意して色々
やってみてもうまくいかないケースの方が多く、良かれと思って
やったことでも相手にとっては“余計なお世話”になってしまい
ます。多分“人のため”と“お節介”は紙一重であることを痛感
している人も多いことと思います。政木先生のお話では、“幸
せを与えようと思うこと”が大きな欲望ですので、まずこの欲望
を捨てることが周りに幸せを与えるためのスタートラインとなり
ます。自分で良かれと思ってやったことが、結果として、周りに
幸せを与えるのが望ましいのであって、人間性が高まるにつ
れて、“お節介”がだんだんと“人のため”に変わっていくようで
す。

 例えば、仏教ではこんな話があります。地獄では、ご馳走の
盛られたテーブルの周りで人々が長い箸で食べようとしている
のですが、箸が長すぎて食べることができず、みな腹ぺこの状
態です。一方、極楽では、地獄と同じように長い箸で食べるの
ですが、人々は楽しくなごやかに食事をしています。何故かと
いうと、自分のお箸でつかんだご馳走を、お互いに向かい側
の人の口に入れてあげているからというわけです。

意識が自分に向かっている時は
思いつかないことでも、意識が周
りに向かっていればごく当然の行
いとなります。日々の生活で、自
分の幸せを願う前に、周りの幸せ
を願うように心掛けているとおの
ずと行動もしやすくなりそうです。


<講演より抜粋>


『修業とは周りに喜びを与えること』

◇私のところへピカッと光って仏像がいっぱい発生しました。し
かし、「仏像は一般の人に何の幸福も与えない。汝は新製品を
作って、多くの人に喜びを与えよ」との言葉があった。それから
一週間に3つ平均新製品が出て、無償で電器会社に作っても
らった。
  
◇私は本も新聞もほとんど読みません。文献を先に読むと、文
献の内側でしか考えられないし、それ以上進歩しない。だか
ら、文献を読まずに、自分でやろうとすることをきちっとやってし
まってから文献を読んだ方がいい。世の中の根本さえまっとう
できれば、必要なことはインスピレーション、あるいは神示でき
ます。

◇自分さえよければと思っている人は、一時的によくなっても
最後は幸福がきません。岡山の大きな会社がどんどん支店を
出して、周辺の人を苦しめた。でも、今では全部ダメになって
財産もなくなってしまった。人間の中に生命体がいるから、因
果応報はきちっと起こります。悪いことをするとそれが自分に
戻ってきます。

◇林原社長は、毎年40億円のポケットマネーを出して、ガンで
困っている人に対してインターフェロン周辺のOH1、OH2を無
償で配っている。こういうことをするから、林原社長に対して、
「陰徳を積みたるが故に20年間寿命を延ばす」と神示があっ
た。

◇昭和47年頃から人間性の測定を始め、毎日20人、30人と
測っていたら累計で6万人になった。お金ももらわずに、ふらふ
らになって測っていたら神示があった。「修業とは、お経をあげ
たり水をかぶることではない。そんな時間がある
んだったら、1分でもいい、3分でもいいから、自分
以外の人間に喜びを与えなさい。それが人間の
最高の修業である」と教えられました。
・・・・・<1995年4月29日政木先生講演会より抜粋>



<著書より部分的抜粋>

 お釈迦様は悟りを得るため、さまざまな修行を積んだといわ
れている。しかし悟りを開いてからは、人々に「難行苦行をせ
ずとも悟りは開ける」といわれた。それは修業は苦ではないと
いうことである。苦しいと思ったら自己の向上はない。この世の
すべてに対し「ありがとう」という感謝の気持ちがあれば、苦し
いとは思わなくなるだろう。また、お釈迦様は悟りを開いたとき
「当たり前のことが分かった」といわれたそうである。「悟りを得
たい」という欲望があるうちは心の目は盲目である。欲望を捨
て、自然の真理が分かったとき、それは当たり前のことになる
はずである。

 人間の心の中にある生命体は、生まれた時は全て同じ第一
生命体である。ところが、十一歳で人間性をつくる第二生命体
が宿る。それは環境、考え方、生き方によって大きく変化する。
何もしなければ、第一生命体、第二生命体だけで人生を終え
る。けれども、人間性を高めるための修業によって、生命体は
何十、何百と宿っていく。ここでいう修業とは、知識を増やすと
か、仕事の努力をすることだけではない。その修業を社会に役
立て、他の人を幸せに導くことで人間性を高めることが、真の
修業なのである。私が六十歳の時に、私の生命体に啓示が下
った。「修業とは、自分の行ったことが、自分以外の人に幸せ
を与えることなり」。 他の人に幸せを与えるエネルギーが、自
分の中にある生命体エネルギーを高め、自分に還元され、人
間性が向上していくのである。・・・・「未来への発想法」より


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