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政木先生は、阪大の通信工学科の研究室にいた頃に、他教
室から研究実験の依頼が多くあり、普通の人の5倍の仕事を2 0年以上も続けられました。その結果、全学科の知識を修得す ることとなり、本当に良いものは“最もシンプルな構造で、天然 自然に近い構造を持ったものである”という発明に対する悟り を開かれました。そして、それから発明が瞬間的にどんどんで きた訳ですが、先生は、“若い時に人を助けるために、人の5 倍以上も働いたその努力が今になって自分に帰ってきたもの だと感謝をしている。このようなことが本当の意味の『情けは人 のためならず』ではないだろうか”と「精神文明と奇跡」の中で 書いておられます。
また、仏像が出現したときに天玉尊先生から“あなたは500
種以上の発明特許を私物化せず、無償で社会へ提供している が、それは無欲の最高の修行をしている”と言われたそうで す。そして、先生は、自分は社会奉仕をしようと思っていない。 ただいくらでも発明品ができるので、それを特許出願している だけである。自分が無意識にしていることが社会に役立って、 それが無欲の修行となっていることは有り難いことである。こ れも一種の『情けは人のためならず』かも知れない、とも書い ておられます。
自分の価値観(思い)を相手に押しつけるような行為は、『情け は人のためならず』とは程遠いようです。
<追記>
相対の世界では、人と人との関係に重きをおくので、この教
えは「人に情けをかけておけば、情けを受けた人はそれをあり がたく思って、情けをかけてくれた人に好意を持つようになる から、何かのおりには報いがある」という解釈になるようです が、絶対の世界では、神と人との関係が重要ですので、この教 えは、「人に情けをかける(周りに幸せを与える)のは、決して 他人(ひと)のためでなく、自分にとって必要(魂の修業)だから 行うのですよ、(目先の欲望を捨てて)かけた情けは、やがて 神様からのご褒美として、ありがたくいただくのです・・・・」となり そうです。
政木先生の場合は、若い頃に他の教室から頼まれた研究実
験を行うために人の五倍以上働いた結果、様々な専門知識が 身につき、その後の 20年間に 500種以上の考案ができた、と のことです。また、自動炊飯器や格安テレビなどを発明しても 一切の特許権を行使せずに無償で提供した、フーチパターン で60,000人以上の人々の身の上相談にのった、などの数々の 行い(情け)によって、先生ご自身の寿命が延びた、磁力線の 発明により多くの人の命を救った、多くの人の共感を得た、幸 せな人生を全うした、ことにつながった、そしてこれらは情けを かけた人々からの報いというよりは、神様から先生へのご褒美 ではなかったかと思われます。
情けをかけるときの留意点は“情けをかける”ことと“お節介”
とは紙一重であり、自分では良かれと思ってやっていることで も時として“お節介”になっていることの方が圧倒的に多いこと です。その原因は、“目先の欲望にとらわれる”、“自分の価値
<講演より抜粋>
◇私は毎朝7時15分までに会社へ行って、夜は9時半か10時ま
でいます。家でのんきに遊んでたり、テレビを見ていては向こう の世界から信号はきません。若い時には普通の人の10倍位 勉強する。それも自分のためやなしに、周りの人のためにやる こと。
◇もしも、私がお金儲けで発明していたら信号は来なかったで
しょうね。「自分の知り得たことを無償で人に教えよ。そうすれ ば、神仏は汝にいくらでも新しいものを与える」という言葉があ りました。ゴルフの打ち方もそうですね。自分で知ったことを自 分だけ後生大事にして上手になるようではそれ以上進歩しな いわけ。
◇私はフーチによって、昭和54年1月末に死ぬことを知ってお
りました。ところが、「汝は永年にわたりて陰徳を積みたるが故 に、汝の寿命を延ばす」との神示があり、79歳の11月24日まで 寿命が延びた。そして、79歳の1年前に、「汝、79歳をクリヤー することができ得れば、さらに寿命を延ばす」との神示があっ たが、どうしたらクリヤーできるのかは分からなかった。
◇11月19日の講演の後、食欲も元気もなくなり、頭の中も真っ
白になって、私は24日に死ぬんだな〜と思っておりました。そ したら、22日に男の人が来て背骨を治し、翌日にはハワイから 女の人が来て、胃腸を治してくれました。二人とも、「以前にお 世話になったから、一生に一度の恩返しに来ました」と言う。
・・・・<1995年12月17日政木先生講演会より抜粋>
<著書より部分的抜粋>
「情けは人のためならず」ということわざがある。これを辞典
で調べてみると「人に情けをかけておけば、いつかはめぐりめ ぐってよいことがある。情けを受けた者はそれをありがたく思っ て情けをかけてくれた人に好意を持つようになるから、何かの おりには報いがあるものだ」というようなことが書かれている が、これでよいのであろうか。私は昭和15年、阪大航空工学 科に入ったが、他教室から研究実験の依頼が多くあり、普通 の人の五倍位の仕事をするようになった。友人や先輩から「大 学では自分の研究だけやっていればよい」との忠告も再三あ ったが、頼りにして来られる人々の顔を見ると、どうしてもやっ てあげたくなり、相当無理をして20年間以上も続けていた。そ の他、学内学外の種々の依頼を一手に引き受けたが、そのた びごとにそれに必要な専門的な知識の修得にも力を入れた。
私の40歳までの発明品は80種ぐらいであったが、医学部で
の「本当に良いものは、最もシンプルな構造を持ち、天然自然 に近い構造を持ったものである」との悟りと、他教室の研究に 協力したお陰で、その後の20年間に500種以上の考案がで きた。これは若い時に人を助けるため人の五倍以上も働いた ことが、今になって自分に返ってきたものだと感謝している。こ のようなことが本当の意味の「情けは人のためならず」ではな いだろうか。・・・・「精神エネルギー」より
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