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政木先生の講演会開催の時は、いろんな講演テーマを考え
て、その都度先生にお願いしておりましたが、先生は口ぐせの ように、「本当に皆さんにお伝えしたいのは、この“神は我が身 にあり”ということなんですよ」と、おっしゃっておられました。そ の頃はまだ、先生の真意が十分に理解できていなかったので すが、今思い返してみれば、神=我が身(第一生命体)だった ようです。古神道の言霊的な解釈によれば、自分とは、みずか ら(自ら)<神なるものから>わかれた(分かれた)ものだそう です。
とおっしゃられたものと思います。また、先生は目先の欲望を 捨てれば、生命体のエネルギーが前面に出てきて、不可能は なくなるといわれています。この場合も、欲望(自我の心=自 分の力)を捨てれば、生命体のエネルギー(本心の心=神の 力)が出てきて、不可能はなくなると理解することができます。
いずれにしても、先生が最も伝えたかったことは、「人間は神
そのものですよ(人間=第一生命体=本心の心)、だから、早 く神の存在に気づいた方がいいですよ」ということではなかっ たかと思います。これも政木先生ご自身の体験(無神論から有 神論になって、かつ神に頼らない)からのメッセージだと思いま す。以上の解釈は、少し独断的すぎるかとは思いますが、たた き台のつもりで、少し切り口を変えてトライしてみました。こんな 理解の仕方もあるかな?、といった感じでお読みいただき、皆 さんのご意見やご感想もお聞かせいただければ幸いです。
<追記>
今回、政木先生の教えは何にしようかな? と考えていた時
に、年の初めにふさわしいのはこれ(神は我が身にあり)だ! と思いついて、1996年2月4日の講演テープ(タイトルは神は我 が身にあり)を聴き直してみました。冒頭のお話を再現してみ ますと、「私がみなさんにお話したかったことは、第1回目から “自分自身の中に神仏がいる”ということだったんです。でも、 最初からこのお話をしても皆さんに絶対に分かってもらえな い。なぜなら、私自身が分かっていなかったからです。このこと が分かるようになったのは、60歳を過ぎてからだんだん分かり だしたんです・・・」
さまざまな体験をされた政木先生が、“自分の中に生命体=
神仏がいて、脳波が下がると生命体が前面に出てきて教えて くれる”ということを本当に納得されたのが60歳を過ぎてからで すので、我々凡人にとっては生涯理解不可能なことなのかもし れません。もう少し先生のお話を続けますと・・「生命体は人間 の中だけではないですよ。あらゆる動物、植物の中にもいるん です。例えば、私の研究所の前のサボテンに話しかけると通じ るんです。サボテンの中に生命体がいるから生命体同士でお 話ができるんです・・・」
いま振り返ってみると、神の存在を疑うことなく素直に受け容
れられているのも、政木先生のお話を繰り返しお聴きして、自 分の中の生命体が揺すぶられ、目覚めてくれたからかもしれ ません。神の存在を否定して、相対の世界の中だけで真理を 追究すると、まるで迷路に入り込んだが如く、苦悩と苦痛の連
<講演より抜粋>
◇第一回目の講演から、自分自身の中に神仏がいるというお
話をしたかったんですが、それをしても皆さんに絶対分かって
いただけなかった。私は昭和47年頃からスプーンが曲がり出し
て、あり得ないことが起こり出した。“そんな馬鹿なことはない”
としか思えなかったが、60歳になってから本当に神仏が分かり
だした。
◇今日、不思議な縁で日蓮の写真をいただきましたが、私が
810年前、日蓮であったことが分かったのは小学校3年生の時
でした。私の顔は、350年前の熊沢蕃山の顔も、650年前の畑
時能の顔も、810年前の日蓮の顔も、特徴は鼻の幅が広いこ
と。中にいる生命体(神仏)が同じである間は、同じ格好でこの
世に出てきます。
◇林原社長は子供の頃から“神は我々自身”ということが分か
っていた。法事で親戚の人が集まると、死んだ人の姿が鮮明
に写っていたという。また、私の家に初めて遊びに来られた
時、みかんの中から真珠が出た。ビックリせず当たり前の顔を
しておられた。
◇私は発明が1秒でできます。実験も研究もしません。脳波が
下がると“ポッ”と11万年前に作った設計図が浮かぶ。人間の
頭ではできません。人間の中にいる生命体が鮮明に覚えてい
るからで、私にもしも肉体の中に神仏がいなければ発明はで
きておりません。
◇スプーンを曲げたり、ちぎったりするのは竜神界の生命体で
す。程度の低い生命体で、何の役にもたちませんが、人間に
は神仏の力のあることの証明にはなります。私も60歳まではこ
れでした。
<1996年2月4日政木先生講演会より抜粋>
<著書より部分的抜粋>
元日の朝、「八幡菩薩が政木の守護神となる」との神示によ
って降臨された。その時、私自身に今までになかった感覚が現 れた。それは、神社や仏閣などに詣でて手を合わせた瞬間、 胸にズシッとくる感じと似ている。それに対して地鎮祭のような ものは儀礼的なものだとばかり思っていたのだが、ある日教祖 が降臨の祝詞をあげた瞬間、私の胸にズシーンという、ある大 きなショックが起きた。この全身に響く衝撃は、それまでに感じ たことのなかったもので、神の存在を示す特別なショックであっ た。私は感激のあまり眼を閉じた。しかし、眼を閉じた瞬間、開 いている時よりも明るい黄金色が眼の中いっぱいに広がった のである。
私は以前、「汝、神仏の存在を信じることができれば、本日を
限りとして神仏に対する依存心をかなぐり捨て、自己の力のみ において生きていくべし」と告げられたことがあった。神の存在 を知り、信ずることができるようになると、それ以後は神に依存 心を持ってはいけない、神にお願いしてはいけない、ただ誠心 をもって神に奉仕する気持ちさえあれば、願わずとも神は自分 の希望の10倍、100倍もの力を与えてくれることが自然とわ かってくるものである・・・・・・「未来への発想法」より
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