目先の欲望を捨てればこの世に不可能はない


 政木先生にお会いした初めの頃は、「この世に不可能なこと
は何もないですよ、但し、目先の欲望を捨てればね 」といった
表現でした。その頃の印象は、自己の欲望を捨てれば、どん
な願いでも叶って奇跡が起きるのかな、といった感じでしたが、
最近は、目先の欲望=思いの心、不可能はない=絶対神の
愛の働きの感受、という言葉に置き換えることができるのでは
ないか、と思うようになりました。従って「思いの心(我の心)を
捨てて、本心の心(感謝の心)を輝かせれば、神様に護られて
いることが実感でき、幸せに満ちた生活を送ることができる」と
受けとめております。

 政木先生の最後の著書となった「この世に不可能はない」の
まえがきでは、“人間の肉体の内側に潜んでいる生命体エネ
ルギーが前面に出てくると、信じられないようなものすごい力
が発揮される・・・・”とあります。(先生ご自身が本の中でも書い
ておられる通り、平成7年11月24日(79歳)を境に生命体が
入れ替わったため、一般の方々が興味を示すような表現にな
っています)肝心なのはその次の、“身の回りに奇跡が起きて
も人々には何の喜びも与えない。自分の内側に潜むエネルギ
ーを引き出し、その力によって新製品を発明して、多くの人々
に喜びを与える・・・・”ということです。まさに政木先生がこの世
で果たされた役割は、科学者の立場から精神世界への扉を開
かれたことであり、神を信じていない人に対して、生命体エネ
ルギーという表現で神の存在を示されたことにあるのではない
かと思われます。
 
「目先の欲望を捨てれば不可能はない」とい
う言葉の中には数多くの真理が含まれてお
ります。“人間いかに生きるか”という問いに
対して、政木先生が示された手順は、まず神
の存在を信じること。次に、神の存在を信じ
たらそのことを忘れて周りの人に幸せを与え
ること。そして、共に人間性を高めていくこと。この三つにある
のではないでしょうか。


<追記>

『目先の欲望を捨てる』 (2005年7月記)

 一昨日(7月25日)、ある若者から次のようなメールが届きま
した。「今日、このHP(政木ワールド)で初めて、政木先生がお
亡くなりになった事を知りました。政木先生にお会いできたの
は広島での講演会の一度きりしかなく、当時高校生だった僕
は、突拍子もない話ばかりで、ただ驚いたことを覚えていま
す。そして恐れ多くも、欲望をなくせというお話に、欲をなくした
ら呼吸もできんじゃんと質問をしようと思ったことを覚えていま
す・・・略」

 早速、次のようなメールをお送りしました。「心温まるメールを
ありがとうございます。政木先生はお亡くなりになられましたが
先生の生き方、教えは永久に人類に受け継がれていくものと
思われます。政木先生の数ある教えの中で、一番気に入って
いるのは「自分でよいと思ったことをとことんやりなさい!」との
お言葉です。どうぞ、自分でよいと思ったことを誰にもはばかる
ことなく、どんどんやりきってください。欲望も出し切ってしまえ
ば、いつか“ポロリ”と、とれる時期がくるものと思われます・・・
略」

 政木先生の教えの中で、“欲望を捨てる”ことは基本中の基
本ですが、その受け止め方は様々です。冒頭の若者のよう
に、本能的な欲望まで捨てようとすると生命を絶つことになり
かねません。政木先生の場合は、「お金は必要な分だけあれ
ばいいのです」と言って、4,000〜5,000億円の電気釜の特許権
も放棄されました。とても真似のできる行為ではありませんが、
欲望を捨てた一つの模範例として、政木先生の“心”を自分の
心に刻み込みたいと願っております。では、どうすれば目先の
欲望を捨てることができるのでしょうか? 自分のことよりも周
りに幸せを与える、感謝する、奉仕する、祈
る・・・・など、方法は様々ですが、自分でよ
いと思った方法で、自分らしく、自分なり
に、コツコツと積み重ねるうちにその答えが
見つかるのかもしれませんね。


<講演より抜粋>

『欲望を捨てれば不可能はない』

◇昭和47年、スプーン曲げが始まった時、私は“そんな馬鹿
なことはない”と思って、私が発明したストレンメーターで測定し
たところ、人間が“曲がった”と思うだけで1/1000くらい曲がっ
た。また阪大の実験では、スプーンを空中に投げ上げると、温
度が何千度かに上がって、スプーンが溶解することもわかっ
た。

◇岡山の校長先生が、訓辞の原稿を覚えようと思ってパラメモ
リーをつけて一生懸命にやったけど全然覚わらないという。も
う一人の人は、面白半分で六法全書に目を通していたら、2日
間で全部頭に修まってしまったという。欲望があると右脳と左
脳が勝手に働いてストレスがでる。欲望がないと勝手にみな
頭に修まる。

◇生後1年3ヶ月の赤ちゃんが、3階から真っ逆さまに落ちて
頭がつぶれてしまい、病院ではどうすることもできないという。
フーチでは、“夫婦が完全に諦めきることができれば、3日目
の朝に意識が戻る”という。夫婦が完全に諦めて、欲望を全部
放ってしまったら、赤ちゃんが元の状態に戻って病院中大騒ぎ
になった。

◇デパートで売っている子供のおもちゃ(知恵の輪)で欲望の
有り無しがわかる。一目見て、大人は抜けないと思うから抜け
ない。5歳以下の子供は余計なことを考えないから、欲望がな
いから、簡単に抜ける。ゴルフだって、満身の力を込めて振る
から飛ばない。力を抜いたら370ヤードワンオンもできるので
す。

◇人間は何にも思わないこと。脳波がシー
タ波になると、肉体の前へ生命体が出る。
一生懸命やると肉体の力だけしか出ない。
欲望を放って脳波を下げると、生命体のエ
ネルギーが前へ出るから、人間の力が十
倍、百倍に上がるから、幸福がいっぱい
やってくるんですね。

・・・・・<1992年6月14日政木先生講演会より抜粋>




<著書より部分的抜粋>


 「無欲の大欲」という言葉は、目先の欲望を捨てて、自分の
すべきことを黙々とやっていれば、大きな成果が自分のものに
なることを教えている。恵比寿像が現れた時、4月に現れると
告げられ、今日か明日かと待っている時には現れず、期待を
忘れ、無欲で竹の子を祭壇にお供えした瞬間に出現したという
エピソードもこのことを示している。

 日本人は口癖のように「一生懸命にやろう」と言うが、この言
葉の中に欲望があっては何の役にも立たないことを知らねば
ならない。欲望を見つめている間は、足は宙に浮いていること
になる。欲望は心の外において、目標を心の中に持ち、堅実
に一歩一歩自分のなすべきことだけを確実に果たしていくこと
が大切である。目先の欲望に心がすべて奪われている間は、
判断力も実行力も宙に浮いたままで成果は全然上がらない。
目標は最高のものとし、一度思えば忘れてしまっても、心の底
にはしっかりと残っている。

 「目先の欲望を捨てると不可能はなくなる」 とはいっても、怠
けていてよいということではない。若い時に血のにじむような
苦労をして、陰徳を積み、多くの人に幸福を与えた後に目先の
欲望を捨てると、この世に不可能はなくなるということであ
る。・・・・ 「奇跡の実現」より


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