4 前々々世は日蓮聖人


◇1222年(貞応元年)2月16日、安房の国(千葉県南部)の 
 小湊に漁師の子として生まれる。幼名は善日麿。12才の時
 に、近くの清澄山にのぼり仏教の修行を始める。16才で出 
 家し、鎌倉、比叡山、京都、奈良、大阪で御仏の教えを学ぶ

◇1253年(建長5年)4月28日、清澄山旭ヶ森で南無妙法蓮
 華経を朝日にむかって唱え、法華経の教えを説き日蓮宗を 
 開く。みずから名を日蓮と名乗り、日月のように暗闇をなくし
 てこの世を明るくし、蓮華のように泥に染まらず人の心を浄 
 めてゆこう、という願いをあらわす。

◇「念仏無聞、禅天魔、真言亡国、律国賊」 このままでは  
 益々国が乱れてやがて外国に侵略されて国が滅びるから、
 一刻も早く国を挙げて法華経に帰依するようにと 『立正安国
 論』 を幕府に提出する。他宗派の反発と激しい攻撃を受け、
 多数の弟子が殺される。

◇1271年(文永8年)8月、他宗派は幕府を動かし、佐渡へ流
 罪となる。護送の途中、鎌倉の龍ノ口の海岸で首を切られそ
 うになるが、突然大流星が出現し日蓮は難を逃れる。

◇1274年(文永11年)3月、モンゴルの襲来が迫って幕府は
 日蓮を赦免する。日蓮は甲斐の身延山(現在の久遠寺)に引
 きこもる。風雪の中に一人身をおき、冬は雪を食べ、春はワ
 ラビをとり秋は栗を拾って命をささえ、法華経の行者として生
 き抜く。

◇1282年(弘安5年)9月、身延山を下り、10月13日、武蔵 
 の国池上(東京都大田区池上・本門寺)で、弟子信徒がお題
 目を唱える中、61年の生涯を閉じる。その時、館の庭前の 
 桜がいっせいに花を開いて咲き誇ったといわれている。


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