魂無限の幾億年


 この言葉は、政木先生が作詞作曲された「輪
廻」の中に出てきますので、歌を思い出される
方が多いと思いますが、肉体は滅んでも生命
体は永遠に続きますよ、だからこの世だけの
肉体(欲望)にとらわれてはいけませんよ、と
の意味が込められています。

 輪廻転生を繰り返す魂は、この世での生活環境や両親・家
族を自ら選択して肉体に宿るのですが、この世に誕生するとだ
んだんと本来の役割や使命を忘れ、肉体が自分であると思う
ようになって、肉体が求めるままの生活(思いの心)を続けてし
まうようです。宗教界では、肉主霊従から霊主肉従へ、といっ
た表現がされているようですが、では、どんな生活が望ましい
のでしょうか?

 肉体(思いの心)が喜ぶ生き方とは・・・・おいしいものをたくさ
ん食べる、性の欲望を満たす、必要以上に眠る、物・人・お金
などを溜め込む、常に自分が心地よい状態を維持しようとす
る、など。生命体(本心の心)が喜ぶ生き方とは・・・・必要最小
限の食事にする(むやみに殺生しない)、欲望を満たす性から
一体を感じる性へ、惰眠をむさぼらない、何でも溜め込まな
い、本来すべてはひとつであるとの自覚に立って、自他一如の
生活をする、など。

 政木先生の教えを一つに絞り込むとしたら、「目先の欲望を
捨てましょう!」=人間は放っておいたら肉体の喜ぶ生活をし
てしまうので、生命体が本来の姿であることを思い出し、生命
体が喜ぶ生活をしましょう!、ということになりそうです。今は
物質文明から精神文明への過渡期であり、肉体が喜ぶ生活を
している人を否定・排除することなく、すべてを受け容れて、ま
ず自分から、自分らしく、自分のできることから、少しずつ、生
命体が喜ぶ生活に切り変えていくことが大切ではないかと思
われます。できれば“魂無限の幾億年”を生活転換のキャッチ
フレーズにしたいものです。


<著書より部分的抜粋>

 赤ん坊が母胎から生まれ出る瞬間まで、人間はすべて平等
に造られている。母胎の中では何の分け隔てもなく、全く等しく
人間として造られてきたものである。人間として生まれてくると
いうことは何を意味しているのであろうか?

 今まで、この地球上にも、宇宙にも存在しなかった私たちは、
母の体を借りて二十世紀の世の中に出現した。そして成長し、
大人になり、現在生きている。この世の中の最大の奇跡とは、
人間として生きていることではないだろうか? 否、生かされて
いる不思議ではないだろうか。この生かされている私たちも、
何年か何十年の後には、必ず死がおとずれ、元の無の世界に
帰ってゆく。これは何人も避けることのできない宿命である。し
かし、死の瞬間に、自分は死んだと自覚できる人は幾人ある
だろうか?

 死の瞬間に意識の消滅が起こる。すなわち、肉体と生命体
が分離するために、肉体的な苦痛等がなくなり、眠りつつ、夢
を見ているような気持ちになると思われる。その眠っているよ
うな気持ち、それが自身の生命体である。生命体は無限の昔
から無限の未来へと生き続けてゆくものである。数億年以上
の生命体が、人間として生活する地球上で、肉体を持つ時間
はほとんど瞬間的なものである。無限の生命を持つ生命体
は、有限なる寿命の肉体に宿り、その間に、意志表示と修業
が行えることになる。

 しかし、生まれ出でたる子は、数年にして自己の生命体のこ
とを忘れ去り、肉体が自分であると思うようになり、物欲に走る
ことになる。肉体的な欲望を捨てて、我を捨てることによって、
人間は本来の姿に立ち返ることができるのである。


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